– C ic a da –

たとえばじかんについてかんがえる。

たとえばこころのなかの結晶についてかんがえる。

途端、
からっぽになって、

あ、

と、そこに至る。

いろんなものが調わない感覚。
——

2016ねんから、
惹かれる楽曲を偏執的に繰り返し聴き続けるようになって、
むかしからそういうところはあったけれど、
それがこのところは、顕著に。

そういえばどれも、
いまはもう、「新曲」を聴くことはむずかしいひとたちで、

しかも
惹かれる楽曲というのがどれもこれも、

からっぽ

を、ひきよせるので、 結果、

あ、

と、そこに至る。

因みにいまは、きみに(そして僕に)セミをみつける曲と、少女のうしろをうろつく幽霊の曲。

———

もうすこしあたたかくなったら、
きっとどこかしらから、
調えるきもちがわいてくる。
と、
しんじているのだけれど。

———

とりあえず、のところは、
いま手元にあるいくつかの台本が、
なんとなくばらついたかんじのする肋骨とか世界とかを
つないでくれているかんじ。

そうつまりは、

だいたいいつもとおなじ。

今週末からは、もうひと現場、追加、で、
より世界がはっきりとするのだとおもう。

まずは「黒百合・抄」当日パンフレットのイメージが、
はっきりみえてくれるとうれしい。

———

そういえば文章が、
びょうきっぽいとか、よっぱらってるとか、
よくいわれるけれども、
ほんにんはいたってポジティブですよ。(念のため)

——

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